「気仙沼ホルモン」とは、まず第1に、生の豚ホルモンであること。第2に、味付けが味噌にんにくベースであること。そして第3に、千切りキャベツにウスターソースをからめて食べること。この3つをもって“気仙沼ホルモン”という。
約50年前、市内の精肉店の社長が韓国の人から味付けを教わったものが気仙沼ホルモンの味の基本となり、現在の味噌にんにくの味付けになったそうである。一般的にはボイル(ゆでたもの)が多いが、気仙沼では、昔から生のホルモンを焼くことで、美味しさを損なわないで食べられている。
気仙沼ホルモンは、宮城県気仙沼市を中心とした地域で受け継がれてきた、豚のホルモン焼き料理です。その起源には、1951年(昭和26年)に国内トップの漁港である第3種漁港(後に最上位の特定第3種漁港に指定される)として知られる気仙沼漁港が、人々の交流を促し、遠洋漁業の港町らしい健康増進法が関与しています。
この料理の特徴は以下の3つです。
生の豚のモツを使用します(ボイルしない)。 小腸・大腸・ガツ(「白モツ」)だけでなく、ハツやレバー(「赤モツ」)も使います。
味噌とニンニクのたれに、「白もつ」と「赤もつ」を一緒に漬け込みます。通常、唐辛子も加えます。
千切りキャベツにウスターソースをかけて、焼いたホルモンと一緒に食べます。
これらは共通する特徴であり、各店や家庭によって専用のたれを使ったり、わずかな違いが見られることもあります。ただし、炭火焼きが特徴的ですが、飲食店で提供される場合は必ずしも炭火で焼かれるわけではないこともあります。
歴史
三陸海岸の豊かな魚介類がある一方で、1886年(明治19年)に食肉の販売や乳牛の飼育が始まり、気仙沼市屠畜場も存在していましたが、1981年(昭和56年)に廃止されました。
そのため、戦前から気仙沼で豚のモツ(ホルモン)を食べる習慣があったとする説と、あまり美味しくないとされて食べられなかったとする説があります。
戦後の占領期には日本の遠洋漁業が制限されていましたが、1951年(昭和26年)に気仙沼漁港が第3種漁港に指定された後、北洋漁業やマグロ延縄漁の基地として、気仙沼漁港に漁船員やその家族が集まり始めました。
この時期、気仙沼市内の精肉店の社長が韓国人から教わった味噌とニンニクのたれを安価なホルモン焼きに使い始め、後の「気仙沼ホルモン」の味が形作られました。
同様に、三重県でうなぎ屋を営んでいた者が気仙沼に移住し、ホルモン焼きを食べて感動し、市内にホルモン店を開いたという話もあります。
また、長期の船上生活で野菜不足を考慮して、ホルモン焼きにキャベツを添えて出す習慣が船員らを通じて一般にも広まったとされています。
気仙沼ホルモンは、約半世紀にわたって市内の飲食店で年中提供され、多くの専門店が存在しました。さらに、春の花見や夏のバーベキュー、秋の芋煮会などの野外での宴会でも気仙沼ホルモンが人気を博し、家庭料理としても広まりました。
2006年(平成18年)には、地元の街づくりサークル「気楽会」が気仙沼ホルモンの特色に気づき、名称統一と定義づけを行いました。この年、地域団体商標が始まるなど、食に関する地域ブランド確立を目指す動きが各地で起きる中、気仙沼ホルモンの知名度を上げるためのPR活動が行われました。
2007年(平成19年)には、気仙沼ホルモンまつりが始まり、地元マスメディアやテレビ番組などで取り上げられ、知名度が高まりました。
現在では、「気仙沼ホルモン」という名前の飲食店が気仙沼以外にも存在し、仙台市や群馬県高崎市でも楽しむことができます。気仙沼市内の精肉店では、ホルモン焼きを店頭販売や通信販売で提供しており、全国的にも楽しまれています。