祭りの概要
この祭りは、港町として栄える塩竈の経済発展と、戦後間もない時期の市民の活力回復を願い、1948年(昭和23年)に始まりました。 鹽竈神社と志波彦神社からそれぞれ神輿が繰り出され、市内を練り歩いた後、鳳凰丸と龍鳳丸と呼ばれる御座船に乗せられ、塩竈港を巡幸します。 その後、港では100隻を超える漁船が大漁旗をはためかせ、太鼓や笛の音で賑やかに御座船を先導・随行します。さらに、陸上では「よしこの鹽竈」や「塩竈甚句」のパレード、前夜祭の花火大会なども行われ、多くの観光客で賑わいます。
塩竈みなと祭の歴史
戦後の浜景気と祭りの誕生
終戦直後、塩竈では大型漁船の多くが戦時中の徴用で失われましたが、小型漁船が残っていたため漁は再開されました。 1945年(昭和20年)10月には政府が生鮮魚介類の配給・価格統制を一時撤廃し、需要が急増。漁業は好景気となり、これを「浜景気」と呼びます。 その活気を背景に、当時の塩竈商工会議所事務局長・板宮文蔵の提案により、港と市勢の発展を願って「塩竈みなと祭」が創設されました。 初回は鹽竈神社の本祭日である7月10日に合わせ、神輿の海上渡御を中心行事として開催されました。
昭和期の発展と困難
祭りの神輿海上渡御は全国的にも珍しく、毎年多くの観光客を集めました。しかし、7月10日は東北地方の梅雨末期にあたり、雨天に悩まされることも多く、1963年(昭和38年)からは降雨の少ない8月5日に変更されました。 1960年(昭和35年)のチリ地震津波では市内が大きな被害を受けましたが、第13回祭りは縮小しつつも実施され、市民の心をつなぐ役割を果たしました。 1964年(昭和39年)には塩釜市魚市場の竣工を記念し、志波彦神社の神輿と御座船「龍鳳丸」が新たに加わり、祭りの規模と華やかさが増しました。
平成以降の盛り上がり
1981年(昭和56年)には「ふるさと塩竈」の歌が公募され、「塩竈おまつり音頭」が誕生。翌年から陸上パレードで披露されるようになりました。 1989年(平成元年)にはギタリスト寺内タケシが「よしこの塩竈」を作曲し、塩竈甚句を現代的にアレンジ。これがパレードで市民総踊りとして定着します。
震災と復興、そしてコロナ禍
2011年(平成23年)の東日本大震災では、御座船の龍鳳丸が岸壁に乗り上げる被害を受けましたが、幸い大きな損傷はありませんでした。震災後初の祭りは規模を縮小して行われ、全国からの応援とともに復興への願いが込められました。 しかし、2020年(令和2年)と2021年(令和3年)は新型コロナウイルスの影響で全行事が中止。これは祭り史上初めての出来事でした。
再開と新たな一歩
2022年(令和4年)、第75回祭りが3年ぶりに復活。前夜祭では約8,000発の花火が打ち上げられ、港町の夜空を鮮やかに染めました。市民と観光客が再び集い、塩竈の夏が戻ってきた瞬間でした。
祭りの見どころ
神輿海上御渡
神輿海上御渡(みこしかいじょうおわたり)は、東北地方で初めて行われた神輿の海上渡御です。 鹽竈神社の祭神である鹽土老翁神への感謝を表し、江戸時代の仙台藩が松島湾で行った御用船遊覧が原点といわれています。
鳳凰丸
船首に色鮮やかな鳳凰を飾った御座船で、1948年の初回から祭りの中心を担ってきました。現在は1965年建造の2代目が活躍しています。
龍鳳丸
1964年に新魚市場開設を記念し、漁業関係者から志波彦神社へ奉納された御座船です。辰年に建造され、船首には勇壮な龍があしらわれています。
よしこの塩竈
「よしこの塩竈」は1989年、寺内タケシが作曲した軽快なリズムの踊り歌です。塩竈甚句をベースにし、江戸時代に流行した「よしこの節」の名を継いでいます。 祭り当日には市民や観光客あわせて約3,000人が踊り、塩竈市内の全小中学校も参加する壮観な光景が広がります。
観光客へのおすすめポイント
前夜祭の花火大会
海の日の前夜に行われる花火大会は、港を背景にしたロケーションが魅力。海面に映る花火の光が幻想的で、カメラ愛好家にも人気のスポットです。
港町ならではのグルメ
祭りに合わせて、港周辺には新鮮な海産物を味わえる屋台や店舗が立ち並びます。地元名物の寿司や海鮮丼は、観光の楽しみのひとつです。
アクセス情報
仙台市からJR仙石線で約30分、塩釜駅または本塩釜駅が最寄りです。祭り当日は大変混雑するため、公共交通機関の利用がおすすめです。
まとめ
塩竈みなと祭は、港町の歴史と文化を受け継ぎながら、市民と観光客を結びつける夏の一大イベントです。 勇壮な御座船の航行、港に響く太鼓と笛の音、夜空を彩る花火――その全てが塩竈の魅力を物語ります。 日本三大船祭りのひとつとして、また震災や困難を乗り越えてきた地域の象徴として、一度は訪れたい祭りです。