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はらこ飯

(めし)

伊達政宗が喜んで食したと伝わる鮭の親子丼

鮭の煮汁で炊いたご飯の上に、鮭とイクラをのせ、刻みのりなどを添えて食べる鮭の親子丼。鮭の漁が盛んだった亘理荒浜地方の漁師が考案したとされる。名の由来は諸説あるが、イクラは鮭の腹にいる子だから腹子(はらこ)といわれている。

仙台藩主 伊達政宗が亘理荒浜地方の運河工事視察を行った際に、地元漁師からはらこ飯を献上され、とても喜んだという言い伝えが残る。現在では、はらこ飯は全国的に有名になり、特に鮭が旬である秋頃には、多くの観光客がはらこ飯を目当てに訪れる。駅弁としての人気も高い。

旬     9月 10月 11月 12月

はらこ飯(はらこめし)

炊き込みご飯の一種で、醤油や味醂などと一緒に鮭を煮込んだ煮汁で炊き込んだご飯の上に、客に供する前に、鮭の身とイクラ(はらこ)をのせる料理です。弁当ではこれらが要素であるが、店舗で供される場合は、さらに鮭のあら汁を合わせるのが一般的です。

なお、単に炊飯された白飯の上に鮭の身(湯掻いたものの場合と刺身の場合あり)とイクラをのせた「鮭イクラ丼」とは区別されます。

JR東日本の仙台駅や盛岡駅など東北各地で駅弁としても売られており、宮城県亘理町では10月8日を「はらこめしの日」としています。

サケとイクラを使った丼

はらこ飯(サケの切り身を煮てのせる)

その他(サケの刺身をのせる)

亘理の「はらこ飯」

名前の由来

「はらこ飯」の名前は、鮭の腹に入っている子供である「はらのこ」「はらこ」という語源からきていると言われています。地域や家庭によっては、鮭の身を入れて醤油で味付けをし、その上にイクラをのせることもあります。

歴史

亘理地方(亘理町荒浜)は阿武隈川の河口付近にあり、鮭の地引網漁が盛んでした。大漁の際に漁師たちが振舞ったのが「はらこ飯」と呼ばれています。

江戸時代には、伊達政宗が領主となり、阿武隈川修繕の視察のために亘理地方を訪れた際に、地元の漁師から「はらこ飯」が献上されたと伝えられています。

作り方

  1. 鮭を切り身とイクラに分ける。イクラはほぐして作ります。
  2. 醤油、日本酒、砂糖などの割り下を使って鮭の切り身を煮る。
  3. 残った煮汁を薄めたものでご飯を炊く。
  4. ご飯の上にイクラと鮭の切り身を盛り付けて完成です。
  5. また、醤油で煮た鮭の切り身をほぐしてご飯と混ぜ合わせることもあります。その場合は、鮭の身を混ぜたご飯の上にイクラを盛ることもあります。
  6. 専門店では、なまぐささを除去するために軽く白濁しない程度に湯がいて供される場合が多いです。
  7. 亘理地方では、「ホッキめし(冬)」「しゃこめし(春)」「アサリめし(夏)」なども提供されます。

「鮭親子丼」や「鮭いくら丼」と呼ばれる丼物は、白米の上にサケやイクラを並べただけですが、はらこ飯はご飯にも味付けがなされることが異なる特徴です。

駅弁としての人気

かつて盛岡駅が東北新幹線の終着駅だった頃は、八戸・青森方面の特急はつかりに乗り継ぐ乗客にとって人気のある駅弁でした。青森県全体で鮭の切り身やイクラの消費量が多いこともあり、この地域の名産品である「はらこ飯」は特に好評でした。

また、当時定期運行されていた急行十和田(のちに八甲田に変更)は上野から青森までの列車で、下り列車(上野発)は後続の電車寝台特急に抜かれるのを待つため、盛岡駅で停車時間が長めに設定されていました。

そのため、朝の6時50分から7時にかけて、多くの乗客が朝食として「はらこ飯」を購入し、需要が高まることもありました。時には売り切れることもあったといいます。

Information

名称
はらこ飯
(めし)

宮城蔵王・白石

宮城県