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刈田嶺神社(白鳥大明神)

(かったみね じんじゃ)

刈田嶺神社は、宮城県刈田郡蔵王町宮に鎮座する由緒ある神社です。 『延喜式神名帳』に名神大社として記される式内社であり、旧社格は県社。 刈田郡の総鎮守として古くから信仰を集め、伊達家家臣で白石城主を務めた 片倉家の総守護神としても知られています。 その別名は「白鳥大明神」で、この地域に伝わる 「白鳥信仰」の中心的な存在です。

延喜式内社としての格式と文化財

刈田嶺神社は延喜式内社で、古代から重要な神社として位置づけられてきました。 享保3年(1718年)に白石城主片倉氏によって寄進された本殿は 宮城県指定文化財であり、さらに拝殿、随身門、白鳥古碑群、 絵馬21点などが蔵王町指定文化財に指定されています。 また、神社で伝承される刈田嶺神社神楽蔵王町指定無形民俗文化財です。

白鳥信仰と白鳥古碑群

境内には、蔵王町の重要文化財である白鳥古碑群が立ち並び、 古くからの信仰を今に伝えています。 刈田郡や柴田郡では、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)にまつわる 白鳥伝説が語られ、当社には白鳥を描いた絵馬が多数奉納されています。 この信仰は、日本武尊が亡くなった後、白鳥となって飛び立ったという 古代伝承と結びついています。

御祭神とその由来

刈田嶺神社の御祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)です。 日本武尊は古代日本における英雄であり、東征の伝承や白鳥伝説で広く知られています。 この地域には、日本武尊に関わる伝承が多く残されており、 刈田嶺神社もその信仰の中心地として厚く崇敬されてきました。

白鳥伝説と神社の成立

古くからの言い伝えによれば、日本武尊は東征の途中で亡くなり、 その魂は白鳥となって飛び立ちました。 白鳥が舞い降りた場所には祠が建てられ、やがて白鳥明神として 祀られるようになりました。 さらに、日本武尊の第二子・仲哀天皇が刈田郡の首長に命じ、 白鳥が止まった地に社を建てさせたという伝承も残っています。

歴史の歩み

刈田嶺神社の歴史は奈良時代にまで遡ります。 養老5年(722年)、刈田郡が建郡された頃にはすでに信仰の対象であり、 当時「大刈田山」と呼ばれていた青麻山を神体山としたと考えられています。

平安時代と坂上田村麻呂

延暦20年(801年)、坂上田村麻呂が蝦夷征伐に際して 西宮で日本武尊に東夷平定を祈願したと記録されています。 翌年、蝦夷の指導者・阿弖流為と母礼が降伏したことから、 この祈願は功を奏したと考えられました。 その後、嶺の神は西宮の殿内に遷座され、一社として配祀されます。

貞観津波と神位の昇叙

貞観11年(869年)、陸奥国大地震と大津波(いわゆる貞観津波)が発生。 その後、苅田嶺神は従四位下の神位を授与され、 当時、この大災害は「山神の憤怒」によるものと考えられていました。 このことから、刈田嶺神は火山活動や水の神としても信仰を集めるようになります。

中世から江戸時代へ

平安末期には源頼義・義家や奥州藤原氏の庇護を受けますが、 藤原氏滅亡後は荒廃。 慶長年間(1600年代)に入り、伊達政宗が白石城を攻め、 片倉景綱を城主に据えると、景綱とその子・重長によって 社殿の大規模な再建が行われました。 現在の本殿は享保3年(1718年)、片倉村休によって建立されたものです。

社名の変遷

社名は時代とともに変遷し、 「嶺ノ神社」「白鳥明神」「刈田神社」を経て、 現在の刈田嶺神社に至ります。 明治期には郷社、のちに県社となり、 現在も地域の人々にとって特別な存在です。

社殿と見どころ

周辺観光と温泉

神社周辺には遠刈田温泉があります。 温泉街には足湯や地元グルメも豊富で、参拝後の休憩に最適です。 また、蔵王連峰へのアクセスも良く、四季折々の自然を楽しめます。

アクセス情報

所在地

宮城県刈田郡蔵王町宮

交通アクセス

まとめ

刈田嶺神社は、古代から続く歴史と伝説を今に伝える、 宮城県を代表する名社です。 白鳥信仰、日本武尊の伝承、伊達家との深い関わり、 そして文化財としての価値。 訪れる人々は、その厳かな空気と長い歴史に触れることができます。 蔵王観光の折には、ぜひ足を運び、その荘厳さを体感してください。

Information

名称
刈田嶺神社(白鳥大明神)
(かったみね じんじゃ)

宮城蔵王・白石

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