宮城県の南部に位置する白石市の名産品で、「うーめん」「ううめん」と読む。400年の伝統を持つ手延の乾麺で、一番の特徴は、約10センチ程度と長さが非常に短いこと。
また、油を一切使わずに、小麦粉と塩水のみで作られているため、消化も良く、子どもからお年寄りまで安心して食べられる。
”温麺”は、江戸時代の初期、旅の僧から油を使わない麺の作り方を教わった息子が、「そうめんを食べたい」という胃病の父のために、苦心して作ったのが始まりといわれており、その温かい思いやりから「温麺」と名付けられたと伝わっている。
冷たくても“温麺”。温かな心から生まれた郷土料理「白石温麺」
宮城県白石市は、伊達政宗の重臣・片倉小十郎景綱の城下町。徳川幕府から一国一城令が出された後も、白石城は例外とされ、明治維新まで存続した特別な場所です。
その白石には、江戸時代から受け継がれる伝統的な麺料理があります。その名も「白石温麺」。市内には温麺を手がける製麺所、温麺を味わえる食事処があちらこちらに。
温麺は、そうめんの一種です。そうめんとの違いは、長さが三寸三分(約9cm)と短く、油を使わずに作られるということ。この形になった背景は、江戸時代の元禄年間までさかのぼります。
白石の青年、鈴木味右エ門は、胃病を患った父親のため、消化のいい食べ物を探していました。そんなある日、味右エ門は、旅の僧から油を使わない麺があることを聞き、作り方を学びます。材料は、小麦粉と塩、水。この麺を父親に食べさせたところ、食欲が増し、病状も回復していったとか。
この話はたちまち評判になり、温麺は白石城主への献上品にもなったそうです。そして、人を思いやる温かい心からできた麺ということから、「温麺」と名付けられました。ちなみに、なぜ「温麺」を「うーめん」と呼ぶようになったかは定かではありません。
良質の小麦粉と葛粉を贅沢に使った麺は、強いコシがありながら、口当たりはなめらか。ツルッ、モチッとした豊かな食感を楽しめます。
宮城県白石市で生産される温麺(うーめん)は、素麺の一種であり、地元の特産品として知られています。白石温麺とも呼ばれ、仮名で「うーめん」または「ううめん」と表記されることもあります。かつては「雲麺」と書かれて「うんめん」とも呼ばれました。
温麺の製法は一般の素麺と異なります。素麺は生地の延ばす際に油を塗ることで、麺同士の付着を防ぎ、表面の乾燥を防止します。しかし、温麺は油を使用せず、うち粉(でんぷん)を振りかけながら製麺するのが特徴です。一般的には、長さ9センチメートル程度で束にして椀に収まるサイズで販売されています。醤油や味噌で作った汁につけて食べるのが一般的です。温かくしても冷やしても美味しく、通年で楽しむことができます。茹で時間が短く、麺の長さも短いため、料理に取り扱いやすく、食べやすい特性があります。老人食や離乳食にも好まれています。また、他の材料を混ぜ込んだ変わり麺も製造されています。ただし、油を使用しないため、麺が伸びやすいという欠点もあることを覚えておくと良いでしょう。
江戸時代初め、白石に住む大畑屋鈴木浅右衛門が、胃腸の弱い父親のために油を使わない麺の製法を学び、温麺を創始しました。この製法は元々大和国を中心に上方で行われていた技術を取り入れたものとされています。
油を使わずに作られる温麺は、さっぱりとして上品な味わいで高級とされ、東北地方南部で広く流通し、仙台藩主の伊達家から大名や公家への贈答にも使われました。江戸時代には蒸して食べられることもあり、冬に作られた寒製温麺が特に良いとされました。
白石盆地の冬の風が麺の製造に適しており、また、蔵王を水源とする小川が白石の街を流れていたことも、温麺製造に適していた要因でした。
温麺は白石の名産品の一つであり、白石葛や白石和紙と並び、江戸時代に「白石三白」として知られていました。現在でも温麺は盛んに作られ、製品化される際には長く裁断したものと短く裁断したものがあります。前者は上等品として贈答品に用いられ、後者は下等品とされていました。
第二次大戦後には、白石市内で温麺を提供する店が増えました。2006年には、ギネスブックへの登録を目指して流し素麺の世界最長記録を塗り替えるイベントが行われ、1802メートルの「流し温麺」が完成しました。